大乗非仏説
「大乗非仏説」という言葉があります。この場合の「仏」とは歴史的な仏陀(釈迦)を指し、「大乗仏教は仏陀の説いた教えではない」という学術的な見解を表すものです。
半世紀ほど前、日本では唯物論的な潮流や宇井伯寿博士の影響もあり、「仏陀は輪廻転生を方便として語ったただけだ」といった解釈も見られました。しかし1990年代以降、仏教学会では「仏陀は輪廻転生を明確に説いていた」という理解が主流になりました。これは、上座部仏教(テーラワーダ)の僧侶の方々が来日し、教えを伝える機会が増えたことにもよると思われます。
実際、仏教学会の第一人者と思われる、京都の某宗門大学の学長は、「個人的には輪廻転生を信じているわけではないが、仏陀はそれを明確に説いていた」と述べられています。
当方は、大学時代に中村元博士の訳による原始仏典に触れ、仏陀が「この世は思い通りにならないことばかりだ。思い通りにならないことは苦だ」というようなことを何度も繰り返していることに、それまで聞いていたお釈迦様のイメージが壊れました。こうした教えは、仏陀入滅後しばらくして成立した部派仏教において、四法印の一つである「一切皆苦」として整理されていきます。
原始仏教 → 部派仏教 → 上座部仏教という流れの中で、仏陀の説いていたことがほぼそのまま保持しているとされます。そのため、上座部仏教の僧侶の方々にとって、「輪廻転生」や「一切皆苦」は、当たり前のこととされています。
改めて「大乗非仏説」に関する言説に戻ると、大竹普さんという高名な仏典翻訳家の方は、『大乗非仏説をこえて ー 大乗仏教は何のためにあるのか』という著書の中で、歴史的な文献に基づく「歴史的ブッダ」と、大乗仏教の中で神話化された「仏伝的ブッダ」とを区別して論じています。
大竹さんは最終的に、「大乗仏教は歴史的ブッダの仏教と異なる宗教である」「大乗仏教は仏教が仏教を超えてゆくためにある」と述べられています。大学で歴史を学んだ者としては、「大乗非仏説」は否定できないけれども、大竹さんの結論にも説得力を感じます。
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