仏陀の説いた呼吸法
仏陀(お釈迦様)の生没年については諸説ありますが、現在の研究では、紀元前5世紀頃に誕生したとする説が比較的有力とされています。29歳の時に恵まれた地位を捨てて出家し、6年間の苦行を行いました。しかし、35歳の時に「苦行と快楽という両極端では悟れない」と気づき、スジャータという娘さんから乳粥の供養を受けて体力を回復し、菩提樹の下で坐禅を組んで悟りを開いたと伝えられています。その後、紀元前4世紀に80歳で入滅するまでの約45年間、北インドを中心に教えを説きながら行脚したとのことです。
菩提樹の下での坐禅において最初に行われた修行の一つとして、「アーナーパーナ・サティ」と呼ばれる呼吸法が伝えられています。パーリ語では、アーナ=吸う息、パーナ=吐く息、サティ=正念(気づき)を意味し、「吸う息と吐く息を、そのまま注意深く観る修行」と理解されています。
臨済宗で長年公案修行を積み、見性を認められた方が「最初は数息観から始めましたが、今はずっと随息観をしています」と語っていたのを覚えています。アーナーパーナ・サティと随息観は、素人考えかもしれませんが、実感としては非常に近いもののように感じました。
原始仏典は、仏陀入滅直後の第一回仏典結集を経て口承で伝えられ、紀元前1世紀頃までに現在のパーリ語経典として文字化されたと考えられています。その中に、呼吸法を体系的に説いた、「アーナーパーナ・サティ経」があります。この経典は後に漢訳され、『大安般守意経』として伝えられました。
上座部仏教の僧侶の方から聞いた話ですが、仏陀は菩提樹の下の瞑想において、まずアーナーパーナ・サティの呼吸法を行い、その後、対象にとらわれない静かな坐禅へと深まっていったとのことです。現在でも、上座部仏教では、修行の最初の段階としてアーナーパーナ・サティが重視されています。一方、日本の曹洞宗では、道元禅師が只管打坐を説きました。道元禅師の時代には原始仏教と大乗仏教を現代のように区別する発想もなく、坐ることそのものを仏道として示しました。
ただ、以前のブログで「野球大好きな少年のすべてがプロ野球選手になれるわけではない」と書いたように、自分が道元禅師のような天才的な器か、それとも凡夫であるかを見極めることも大切かもしれません。凡人にとっての坐禅は、まず呼吸に注意を向けることから入る方が親しみやすいのではないかと思います。もっとも、当方自身は、数息観も数日で嫌になり、止めてしまいましたが。
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