⾒えない世界への⼿探り

我を忘れるということ

前ページで記載したように、当方は仏陀が「諸法無我=我は無い」を直接説いたのではなく、この思想は仏陀入滅から約200年後に成立した「部派仏教」の時代に体系化されたものと理解しています。魚川祐司さんが指摘するように、**「悟り」とは「無我」に目覚めることなのだから、それを達成した人には「私」がなくなって、世界と一つになってしまうのだ**というのは、しばしば見られる仏教理解の誤解だと思います。悟りを得た人であっても、その存在が消えてなくなるわけではありません。これは子供でも理解できるほど明快なことです。
ただし、「何かに無我夢中になって我を忘れる」という体験は、誰にでもあるでしょう。その瞬間、「我」に付随する悩みや苦しみからも離れています。その意味では、この「我を忘れた状態」が続くことを、一種のプチ涅槃と呼んでよいのかもしれません。

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