道元禅師と心相続――身心一如と三世にわたる業
当方の大学生時代―1980年代には、唯物論の影響や、東大退官後に駒沢大学学長となった宇井伯寿博士の影響もあって、「道元禅師は輪廻を否定していた」という意見がよく主張されていました。ところが現在では、「少なくとも晩年の道元禅師は、輪廻を明確に肯定していた」という説が一般的になっています。ここであえて「晩年」と書いたのは、道元禅師は若い頃と晩年で考え方を変えた、という説があるからです。また「輪廻転生」という言葉には、どこか古臭くて迷信的なイメージもあるので、ここからは「心相続」という言葉を使います。心相続とは、「肉体が滅んでも、心の流れは途切れず続いていく」という意味です。
1980年代頃まで「道元禅師は心相続を否定していた」と言われてきた理由の一つに、禅師がたびたび説いた「身心一如」という考えがあります。たとえば『弁道話』には、次のような一節があります。
「身心一如のむねは仏法のつねの談ずるところなり。しかあるに、なんぞ、この身の生滅せんとき、心ひとり身をはなれて、生滅せざらむ。」
ただ、身心一如を平たく言えば、「体調が最悪なのに気力だけは異常に元気」という人は、ほとんどいない、という程度の話とも言えるように思います。これだけで、あらゆる文脈において「身心一如=心相続の否定」とまで言えるのかというと、少し無理があると、個人的には思います。
年代的に見ると、『弁道話』は道元禅師が相当若い頃の著作とされています。一方、晩年の著作とされる『正法眼蔵 発菩提心』には、たとえば次のような一節があります。
「海かれてなお底のこり、人は死すとも心のこるべきがゆえに、不能尽なり。」
さらに最晩年の『正法眼蔵 三時業』、つまり「前世・現生・来世」という三世にわたる業を説いた章では、三世を貫く因果応報が、これでもかというほど繰り返し説かれています。
部派仏教から上座部仏教にかけて、「常一主宰の我は無い」と説かれてきました。これは、永遠に変わらず、しかも自分の思い通りに操れる実体的な“我”は存在しないという意味です。しかし同時に、行為(業)の結果は、心の流れとして相続されていくとも説かれます。大乗仏教では、この心相続の主体として「阿頼耶識」という概念を立てますが、これもあくまで「心の流れの仕組みに名前を付けたもの」であって、やはり常一主宰の我ではありません。
このように考えると、道元禅師の「身心一如」も、「若い頃は心相続を否定し、晩年になって肯定に転じた」というよりは、むしろ一貫して、部派仏教以来の伝統である「常一主宰の我は無い」という立場を説いていた、と解釈することもできそうに思います。もちろん、「若い頃と晩年で考えを変えた」という説も十分あり得ると思います。当方がその説にやや共感するのは、以下のように考えるからです。
中国から帰国したばかりの若い道元禅師は、「自分の得た悟りを、できるだけ多くの人に体感してほしい」という強い情熱を持っていた。しかし晩年になるにつれ、すべての人が悟れるわけではない、業による条件が整った人、別の言い方をすれば、それなりの段階を経た人でなければ悟れない、という現実を痛感するようになり、「前世・現生・来世」にわたる三世の業を、あれほどまでに繰り返し説くようになったのではないか――そんなふうにも感じます。
もちろん修行する人が、「今世では自分はまだ条件が整っていないから無理だ」などと思い込む必要はないでしょう。ただ、野球がどれだけ好きでも、好きな人すべてがプロ野球選手になれるわけではありません。何かを目指して、自分の存在を忘れるほど没頭できたなら、たとえその目標に届かなかったとしても、それ自体が一番幸福なのではないかと、当方は考えています。
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